2011/08/05

これからのvision

久々の登場にも関わらず、皆さんから温かいコメントやメールをたくさん頂いて、本当に嬉しいです。
どうもありがとう。

さて。
今回のWEB SITEのテーマは、「光と闇」。
陰と陽の象徴でもある白と黒の2色で、自分に内在する光の部分と闇の部分を、対照的に表現してみました。
この「陰陽の統合」というテーマは、私が一生涯をかけて学び、マスターし、表現し、伝えていきたいテーマです。



―光を見るには闇が必要で、闇を映すには光が必要。
光と闇、陰と陽、太陽と月、上と下、前と後、男と女、過去と未来、縦と横、拡大と収縮、喜びと悲しみ、愛と憎悪、ポジティブとネガティブ、、、
どちらが優れているわけでも、どちらが劣っているわけでもない。
太陽と月だって、どちらか欠けると私たちは生きられない。
それと同じで、相反する2つの要素は必要不可欠で、共存させることでバランスが取れる。
それが「調和」ということ。
対になっているだけで、そこに善悪は存在しない。
それは宇宙の掟であり、法則―。



このようなことは、精神世界でよく見聞きすることだと思うので、もうすでに知っている方もたくさんおられるでしょう。

では実際どうなのか。
私はと言えば以前、自分の中のネガティブな感情を見つめることをせず、ポジティブな感情ばかりを味わおうとしてしまっていました。
ヨガをしていれば、いつかネガティブな感情は無くなる・・・
そう思いながらヨガを続けましたが、年月を重ねても(とは言え所詮、ヨガ歴6年程度ですが・・・)、自分の中には怒りや悲しみ、嫉妬、執着、貧欲は確かに内在する。
それでも、これらの感情を無いもののように振る舞い、都合の良い部分しか表に出さないようにしていました。

しかし、このような在り方はいつしか限界を迎えるようになりました。
自分を偽っているような気持ちになり、それが罪悪感として根付き、自分を責めるという悪循環に陥り、本当に悩みました。

そしてある時から、
もうそんな自分をやめたい。
ありのままの自分を許したい。
良いところも悪いところも全部ひっくるめて、等身大の自分を愛したい。
そうすることで、人の長所も短所も全部ひっくるめて、受け止めたい・・・
と思うようになりました。

自分の光に属する部分だけ、見られても良い部分だけしか表現しない自分は嫌だ。
そんな私がヨガを語るなんて口先だけだ。頭での理解に留まっているに過ぎない。いや、それは「理解」ではない、ただ「知っている」というだけ。

これからはもっと在りのままに、もっと自然に自分を表現していくことにチャレンジしていきたい。
私の中にある美しさも醜さも、ジャッジすることなく見つめていきたい。
そこから成長していきたい。

そのような想いから、ある行動を起こしました。

その行動が、今年1月のブログ炎上です。
(ご存知でない方は、旧blogから読むことが出来ます。)

あれから半年以上が経った今までも、あの出来事がずっと心の中にありました。
私は、どのような意識であの行動を起こしたのか。
コメント欄で書き込んでくれた皆さんが、私に何を教えてくれたのか。
あの出来事から、私は何を学ぶのか。

当時の気持ちを振り返りながら、今になりわかってきたことを、ここから綴りたいと思います。

当時は、まさかあそこまでブログが荒れてしまうとは思ってもいませんでした。
自分で引き起こした出来事とは言え、匿名で誹謗中傷されるのは想像以上にきつく、この時期は日に日に弱っていったのを今でもありありと覚えています。

私が甘かったのだと思います。
今思うと、あの時の私は、自分が「これだ!」と思ったものをほとんどの人が理解してくれるであろうという、甘さがありました。
私は昔から、自分が得た感動を人と共有したいという気持ちを強く持っています。
その気持ちがあるからこそ、ヨガインストラクターのお仕事も楽しんでやれているのだと思います。ヨガで得た体験や感動を、1人でも多くの人が自分と同じように味わって頂けたら、とても嬉しい。
しかし、バランスを崩してその気持ちが色濃く出すぎると、
自分が食べたいものを相手の口の中に無理やり突っ込んで「ねぇ、おいしいでしょ?」と言っているようなことにもなりかねません。

よくよく考えてみると、私生活でも多々やってしまっています。
特に、家族や友人など、親しい間柄の人に。

自分にとって良いことが、人にとって良いこととは限らない。
どんなに素晴らしい教えであっても、その人が必要とするタイミングでなければただの押し付けになってしまう。
自分にとってのタイミングが<今>であっても、人にとっては<今>ではないかもしれないし、訪れないかもしれない。だからと言って、どちらが優れているわけでも何でもない。

このような意識であったのなら、あのような表現方法にはならなかった思います。


そして、私の表現はあまりにも唐突でした。
こうなってしまう経緯があったにも関わらず、その経緯をすっとばし、いきなり感情を爆発させる文面を書いた。

怒りや悲しみ、憎しみ、嫉妬・・・
どんなに受け入れ難い感情であっても、そこに至った経緯や理由をしっかり聞かされれば、「そうなるのも無理ないよね」という気持ちになったりもします。
ですが、伝えていることがいくら真理に基づいていることであったとしても、
伝え方や言い方、表現の仕方によって、人は困惑し傷ついてしまうこともあるのだと、遅ればせながら気づくことが出来ました。

これは何を表しているのかなと考えたら、コミュニケーション能力の無さだと思います。

これもよくよく考えると、私生活でよくやってしまっています。
例えば家族には、「家族なんだから、言わなくても心は通じている。自分の気持ちはわかってくれているはずだ」と勝手に決めつけたり。
では私はどうだろう?
私は、旦那の気持ちが手に取るようにわかるかと言われれば、NOと答えるでしょう。
旦那と長い間一緒にいても、今何を考えているのかなんて手に取るようにわかるわけがない。自分に置き換えればわかるようなことを、わかろうとしていませんでした。
これからは、相手の立場に立ち、話を聞く人が誤解のないように、気分を害さないように配慮し、経緯の1から10まで心を込めて伝えること。

伝え方や表現方法がつたないことで、その真意が歪んで伝わってしまうことがあるのだということを肝に銘じ、コミュニケーション力・表現力を磨いていくことを心がけていきたいと思いました。


そしてさらに、自分をどこかで過信していたことにも気づきました。
若い時から人にものを教える立場で仕事をしていたことで、謙虚さや自分の未熟さをすっとばしてしまっていたように思います。
これは、今書いていてもとても恥ずかしくて居た堪れないです。
色々な厳しい意見を聞くことで、自分の身の丈を知ることが出来ました。

自分の力を信じることは必要なことですが、これもバランスを崩し色濃く出すぎると「過信」というかたちで現れてしまうのだと感じました。
「本当に?本当にそうなの?」と、自分に疑いの目を向けることも、私にとってはバランスをとるために必要なエッセンスでもあると思いました。 

ここまで書いていて思ったのは、どんな要素も表裏なのだということ。
表目に出れば長所となるところも、バランスを崩し裏目に出ると短所になる。だから、何が良い悪いではない。
物事は常に、「裏を返せばこうなる」という多角的な視点をもつことが大事だと、改めて認識しました。


どれもこれも、言葉にすると「当たり前」のことばかりですね。
ですが、この「当たり前」のことをマスターしている人間って、世の中にどれくらいいるのだろう・・・と思ったりもします。
当たり前だと思っていたことが、実際頭での理解に留まっていたなと気づくことこそが、成長しているということなのかなと。

このように、私はあのブログ炎上から本当にたくさんのことを学びました。

学んだ後に思うこと。
やはり、感情は表現しなければ始まらないということ。
ブログ炎上のきっかけとなった記事での本音は、たくさんの人が指摘してこられたように、確かに幼稚で、被害者意識も強く、感謝の気持ちに欠けていた部分があったと今では思います。
多くの方をがっかりさせてしまったかもしれませんが、それが当初の私の一部として確かに存在する感情でした。
しかし、もしあの感情を抑えて、「でも、私は今幸せなんだから」「お金をもらってるのだから、我慢するのは当然」と無理やり思考で塗り固め、沸いてきた第一声の感情を抑圧してしまっていたら・・・

きっと今のように本心から自分を省みることは出来なかったと思います。

本音を晒すことは、時に自分にとって都合の悪いものを見つめることにもなる。それは厳しくもありますが、出てきた感情をジャッジせず、ありのままを見つめたときに成長する機会がやってくるというのを、この経験から学びました。

そこにある感情がどんなにえげつなくても、どんなに幼稚でも、
どんなに滑稽でも、表現してみなければ真実はわからない。
もしかしたら自分の至らない部分が露呈されるということになるかもしれないし、もしかしたら相手や対照の出来事に問題があって、ネガティブな感情が沸くのも「無理もないよね」ってことになるかもしれません。
というか、どちらの要素もきっとあるはず。

いずれにせよ、真実と向き合いたければ本音を晒す。これしかないと。
そして、本音は晒して終わりではなく、晒して吐き出したものを見つめ、そこから何を学ぶのか。それこそが要だと思いました。

常に学ぶ姿勢さえ持っている人は、その目に映る世界のあらゆる出来事は、良いも悪いもないのでしょう。

まだまだ私の意識レベルでは、そこに到達するのは程遠いですが・・・。
「これは、ありえねーだろ!」って思うことたくさんありますから。



私はなぜ、笑うのか。私はなぜ、怒るのか。
私はなぜ、悲しいのか。私はなぜ、幸せなのか。
私はなぜ、求めるのか。私はなぜ、憤るのか。
私はなぜ、悔しいのか。私はなぜ、感謝するのか。

こうして1つ1つ、自分の感情と向き合い、その出所を探っていく。
自分を知ろうとする在り方こそが、<愛>なのかもしれないと、今は感じつつあります。



最後に。
今の本音をぶっちゃけると、ブログ炎上なんて振り返りたくない、無かったことにして闇に葬りたいって気持ちがほんの少しありました。
またほじくり返して、誹謗中傷を浴びるのではないだろうかという不安。
恐いです。

堂々と自分を表現しているように見える裏には、おしっこをちびりそうになっている弱い自分がいます。

その証拠に、私は炎上後すぐにブログをリニューアルしたのですが(旧blog2)、その時の内容は炎上時のことについて全く触れておらず、そしてそこから学ぼうともせず、あの痛手を負った経験が全く生かせていない、なんとも中途半端なリニューアルとなってしまいました・・・今書いていても、心底情けないです。

その時の心境を今振り返ると、やはり匿名での批判が恐かったのだと思います。もう2度と、味わいたくなかったです。そのような意識が働いたことにより、中途半端な内容となってしまいました。

しかし、この充電期間中、ブログ炎上に至った本当の目的は何だったのか、もう一度思い出してみました。そして今一度、自分にしかないオリジナルを確立していきたいという情熱を、取り戻すことが出来ました。

二度目の正直の、リニューアル。
以上のような心境でのWEB SITE立ち上げとなったわけです。


これが、今私が公開出来る本音全てです。

以前までの、ヨガインストラクター・芥川舞子としての表現ではなく、人間・芥川舞子の陰と陽が統合されるまでの葛藤や心境を、在りのままに表現する場として、このblogを綴っていきます。

今後開催するクラスやワークショップでは、「ちょっと抵抗があることでも、ここなら表現出来る」と思って頂けるような空間を作っていきたいと思っています。その為に、どういった内容のクラスにしようか現在考案中です☆


これから、皆さんと共に歩んでいきたいと思っていますので、生まれ変わった 新生・芥川舞子をどうぞよろしくお願いいたします!!