今日から幼稚園の夏季保育とやらで、約1カ月ぶりくらいに登園した凛ちゃん。
いえーーーーーい!!やっと一人やわぁ~~~~~~✿✿
思えば今年の3月まで、仕事以外はずっと一緒にいた生活だったよなぁ。
4月から幼稚園が始まって、1日5時間とは言え一人の時間が出来たのは、衝撃的だった。
ちょっと空いた時間にお茶出来ること。
座ってゆっくり、自分のペースでご飯を口に運べること。
ぼーーっと何もしないでいれること。
ほんの些細なことに、心底有り難みを感じた。
そして、限られた時間だからこそ、
「今一番何したい?」
って、自分に強く問う。
それって、今を生きることに繋がるのだと思う。
今私が一番何を望んでいるのか。
今私が、どうしたいのか。
いつもいつも、自分に問う。
そして、今の自分が一番望んでいるものを、自分で与えてあげる。
制限された中だからこそ、自由度は増し、意識は鮮やかになるのだろうかね。
とりあえず今は、ブログを書きたかったんだ。
そしてこの後、近くのカフェに行って冷たいコーヒーを飲みに行く。
今日は、それだけで十分。
さて!
タイトルにある通り、9月のkichenAMRITA【START BASICコース】のお時間を、諸事情により変更させて頂きました。
<START BASICコース>
Kitchen AMRITAの定期コース 【START BASICコース】 は、
週1回1か月通うことで、マクロビオティックの基本を身につけ、
どなたでもマクロビオティックライフが始められるプログラムです。
日 時:9月2日・9日・16日・30日(祝日除く毎週金曜日)
10:00~13:00に変更になります。
場 所:都営新宿線『瑞江』駅から徒歩7分
(詳細はご予約時にお伝えいたします。)
持ち物:エプロン,三角巾,筆記用具,空き容器
(余った食材をお持ち帰り頂けます。)
料 金:25,000円(税込、テキスト代込)
【コース概要】
Lesson.1(1日目)
theory :マクロビオティックとは <意味・語源・歴史>
基本食ガイドライン <つまりは、何を食すのか>
practice:玄米の選び方、洗い方、炊き方、
野菜の選び方、洗い方、炊き方、
だし汁の取り方
menu :圧力鍋で炊く玄米ご飯
野菜と海藻の味噌汁
切干大根の煮物
お漬物
Lesson.2(2日目)
theory :陰陽の統合 <宇宙の法則を知る>
食物の効用 <家庭で出来るお手当法>
practice:玄米ご飯の美味しい炊き方、食べ方
野菜の切り方
menu :土鍋で炊く玄米ご飯
甘い野菜のスープ
ひじき蓮根
浅漬け
Lesson.3(3日目)
theory :一物全体 <丸ごと食す>
身土不二 <環境と食>
practice:アクの抜き方、雑穀の洗い方
menu :雑穀入り玄米ご飯
そばの実スープ
きんぴらごぼう
りんごとドライフルーツのコンポート
Lesson.4(4日目)
theory :あなたの体質は?
季節のものを食べる <五行の法則>
practice:豆の種類・扱い方
menu :黒豆入り玄米ご飯
小豆かぼちゃ
季節の野菜の味噌汁
甘酒のゼリー
※内容やメニューは、予告なく変更になる場合がございます。
これね、地和子先生のアドバイスを受けながらプログラム組んだのですが、
すごくイイ!!基本が全て網羅されている・・
そして、全4回クラスに分けている為、1回1回の授業を1週間かけて消化できるという点も。
まだ、ご予約承っています。
ご予約はこちら
うちの花壇に、ゴーヤがたくさんなりました。
ゴーヤって苦いけど、マクロビオティックの陰陽理論を理解して調理すれば美味しく食べられます。
2011/08/26
2011/08/24
ののちゃんと私の会話
お馴染みの亀山ののこ氏。
私がののちゃんと出会ったのは17歳のころ。
それ以来、私の人生の節目節目に必ず訪れてくれて、写真を撮り続けてくれる。
私のWEBSITEのphoto galleryも、厳選した超お気に入りの写真を載せているのだが、
そのほとんどが、ののちゃんの写真。
まるで、亀山写真館。
そんなののちゃんが、今日福岡へ旅立つ。
自分らしく生きるために、選んだ道なんだって。
福岡へ旅立つ前に、一度会えたらいいねと言って、先日カレーを食べに行った。
もちろんサヨナラではないけれど、今までのように簡単には会えなくなるのだから、
今日は今まで以上に心の奥深いところまで話せたらいいなと思っていた。
そうしたら、知らなかった色んなことをたくさん聞けたし、
私も、たくさん話せた。
私からはののちゃんに、
「もっと、認めて欲しい!って気持ちがあったよ。だから、褒めてもらったりすると嬉しかった。」
と伝えた。
ののちゃんは、
「もう出会ったころからずっと、こんなにこんなに認めているのに!?」
と言ってくれた。
そしてののちゃんからは、
「舞子は、私のことをどう思っているんだろう?って考えていた。
そしてある時『それなら、私は舞子のことをどう思っているんだろう?』と考えた。
そしてある時『それなら、私は舞子のことをどう思っているんだろう?』と考えた。
そうしたら、愛してた!じゃあ、舞子がどうであれ、これからも『愛そう!』って決めたんだ!」
と伝えてくれた。
私は、
「改めて考えてみたら、今まで人生で色々なことがあった中で、誰にも言えないようなことでも、
ののちゃんだけには言えていたなぁ。誰よりも、私の胸の内を話したよ!!こんなにたくさん話した人って、なかなか居ないんだ!!」
と伝えた。
お互い、感動した。
普段、私たちは人と、どれくらい本音でコミュニケーションとれているだろう?
身近な人ほど、大切な人ほど、「言わなくてもきっとわかってくれている」と思い込みがちなのかもしれない。
人により学ぶし、人により成長するし、
人により悲しむし、人により感動する。
人により寂しくなるし、人により楽しくなる。
私は、内観するってことを、一人で静かに自分の内側を見つめることだと思っていた。
だけど、人と関わることが、どうやら一番自分を深く映し出してくれるみたい。
人と本音で関わることで、どんどん自分が見えてくる。
人と本音で関わることで、どんどん自分が見えてくる。
それは、常に瞑想的な在り方でもある。
ガチで向き合うことの大切さ。
ただし、相手もそれを望んでくれるならば。
そんな人がどれだけ居てくれるかな。
大事にしたい。
大事にしたい。
最後に。
いつかお家に遊びに行った日の写真。
双子のママ。W授乳ってすげー。 一生懸命吸ってて可愛すぎ。手のこぶしが可愛すぎ。 |
ママがトイレに行ってしまって号泣。。。 でも私たち、半ば強引に笑顔!めげないよ!! |
理人&淳之介。 そして凛ちゃんも便乗して号泣。。。 |
のびのび大きくなろうね。 photo by MAIKO AKUTAGAWA |
ありがとう!これからもよろしくね!!
いってらっしゃい!!!
2011/08/21
何にも代えがたい安心感。-kitchen AMRITA9月WSのお知らせ‐
9月に開講する我がマクロビオティックスクール「kitchen AMRITA」に、私が最初にマクロビオティックを教えてもらった大久保地和子先生が、訪問して下さいました!
うちの教室を、キレイキレイと褒めて下さって、嬉しかった~!
同時にたくさんのアドバイスも頂けて、有難かったです。
先生、ありがとうございました。
同時にたくさんのアドバイスも頂けて、有難かったです。
先生、ありがとうございました。
教室の視察を終え、地和子先生と私と凛ちゃんで、神保町にある「おむすび茶屋」へ。
おむすび茶屋には、地和子先生のアシスタントを務める同期の くーちゃん が働いています。
自給自足のこのお店には、美味しいおむすびがいっぱい!
お土産も含めて、たくさん買ってしまった!
久々に、くーちゃんにも会えて嬉しかった~♪またゆっくり話したい。
くーちゃん、会う度にパワフルになっていくからな。すごいよなぁ。
くーちゃん、会う度にパワフルになっていくからな。すごいよなぁ。
この日先生とは、たくさんお話をしました。
その中でも特に印象的だったのが、放射能の話。
「人間のチカラでは到底敵わないものがあるということを受け入れること。そして、今自分に出来る目の前の事柄をコツコツやっていくこと。この、二つの視点のバランスが大事よね。」と仰る先生。
「人間のチカラでは到底敵わないものがあるということを受け入れること。そして、今自分に出来る目の前の事柄をコツコツやっていくこと。この、二つの視点のバランスが大事よね。」と仰る先生。
本当にそうだ。
地震発生から2週間くらいの間、私はブレていました。
この先どうしよう…と、途方に暮れたり。
水はどこで買えるんだ…とスーパーを巡ったり、
何か出来ることはないか…と電気やストーブ全て消して、家でコート着てロウソク点けて過ごしたり。(これらの状態が旧Blog2に綴られています)
この先どうしよう…と、途方に暮れたり。
水はどこで買えるんだ…とスーパーを巡ったり、
何か出来ることはないか…と電気やストーブ全て消して、家でコート着てロウソク点けて過ごしたり。(これらの状態が旧Blog2に綴られています)
しかし、その後すぐに軸を取り戻しました。
そういえば、これは、今に始まったことではない。
もう何年も前から、自分の意識や地球全体の意識にヤバさを感じていたからこそ、
ヨガをしてマクロビオティックをしていたんだった。
本当に大切なものは何なのか、自分なりに毎日模索して、その都度思う大切なものを伝え続けていたんだった。
ヨガをしてマクロビオティックをしていたんだった。
本当に大切なものは何なのか、自分なりに毎日模索して、その都度思う大切なものを伝え続けていたんだった。
想定内の出来事が、想定外の早さで訪れただけなんだ。
そのことに気づけてから、軸が戻りました。
この軸を取り戻せたのは、やはりヨガとマクロビオティックのおかげです。
玄米って、身体の中の毒を吸着して外に排泄する力がすごい。
ずっと玄米食べて、ヨガをしてプラーナを取り入れているので、健康貯蓄があるという安心感は、何にも代えがたい。
ずっと玄米食べて、ヨガをしてプラーナを取り入れているので、健康貯蓄があるという安心感は、何にも代えがたい。
被爆したからって、人生終わりではない。
ガン細胞だって、私たちの身体に毎日出来ている。
ガン細胞だって、私たちの身体に毎日出来ている。
いらないものを排泄・破壊する力と、必要なものを生み出せる力をつけること、改めて意識しました。
私たちは、痛い目みないと学ばない。気づかない。
だから派手に失敗する。
失敗した後、本気で自分の在り方を反省し、悔い改めることが出来たら、いくらでも挽回出来ると思う。
仮にこの時代が終わっても、私たちの魂にはその経験が刻まれて、また次の時代に生まれた時に生かせるのではないかな。
そうやってずっと続いていくのだろう。
とは言え、失敗するにも痛みが小さいほうがいい。
最小限の痛みで、最大限学べたら、なおいい。
最小限の痛みで、最大限学べたら、なおいい。
その為には、日頃から些細な出来事で最大限に学びとる鋭い感性・想像力を養うこと。
ほんの少しのサインを見逃さないように、意識的に生きること。これに尽きる。
ほんの少しのサインを見逃さないように、意識的に生きること。これに尽きる。
それを叶えるには、やはりヨガして心身の微細なエネルギーを感じ、動かし、マクロビオティックで感覚的な判断力を鍛えることで、意識を目覚めさせていくこと。
となると結局、
「いつも通りの日々」になる。
「いつも通りの日々」になる。
だから私は、以前と変わらない生活をしているように思えるのですが、
その中で確実に変化している部分があります。
その変化とは、
「いつも通りのことが、とても大切なことだったのだな」という実感が増したこと。
「いつも通りのことが、とても大切なことだったのだな」という実感が増したこと。
これまでの経験から、私が大切だと思うものを、変な遠慮もなく余すところなく伝えられる場所が欲しかったです。
だから作りました。kichen AMRITAという場所を。
9月土日のクラスを増やしました!
多くの人が、今「変わりたい・成長したい」と望んでいる気がしてなりません。そんな時にふと、知りたいことが知れて、やりたいことがやれるようになるきっかけを、私がささやかながらに与えていけたら・・・と思っています。
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《kichen AMRITAオープンクラス》
マクロビオティックスイーツを食べながらの、座談会をします。様々な疑問にお答えしたり、月1開講の《START BASICコース》の内容も一部ご紹介します。
マクロビオティックに興味はあるけれど、どのようなものかまず知りたいという方に。
お子さんやご家族連れもOK!
たぶん、うちの娘もチョロチョロしていると思います。オープンで、ラフなクラスです。
たぶん、うちの娘もチョロチョロしていると思います。オープンで、ラフなクラスです。
どうぞお気軽に。
日時:9月4日(日)14:00〜16:00
9月18日(日)14:00〜16:00
料金:2000円(※砂糖•乳製品•卵を使用せず、オーガニック食材で作ったおやつ付き)
場所:都営新宿線「瑞江」駅から徒歩7分(※詳細は、ご予約時にお伝えいたします。)
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《kitchenAMRITAワークショップ
シーズンワンプレート》
テーマ:秋のレシピ
テーマ:秋のレシピ
立秋を向かえたこの時期は、五行では《集中》のエネルギー。
冬に向けて蓄える時期なので、栄養価の高いものを取り入れ、身体を温めます。
-クラス内容-
theory:マクロビオティックの簡単な座学
menu(デモンストレーション)
栗玄米おこわ
南瓜と粟のコロッケ
あらめ蓮根
玉ねぎのお味噌汁
りんごカスタード
栗玄米おこわ
南瓜と粟のコロッケ
あらめ蓮根
玉ねぎのお味噌汁
りんごカスタード
日時:9月17日(土)10:00〜13:00
料金:6000円
場所:都営新宿線「瑞江」駅から徒歩7分(※詳細は、ご予約時にお伝えいたします。)
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ラベル:
kitchen AMRITA
2011/08/05
これからのvision
久々の登場にも関わらず、皆さんから温かいコメントやメールをたくさん頂いて、本当に嬉しいです。
どうもありがとう。
さて。
今回のWEB SITEのテーマは、「光と闇」。
陰と陽の象徴でもある白と黒の2色で、自分に内在する光の部分と闇の部分を、対照的に表現してみました。
この「陰陽の統合」というテーマは、私が一生涯をかけて学び、マスターし、表現し、伝えていきたいテーマです。
―光を見るには闇が必要で、闇を映すには光が必要。
光と闇、陰と陽、太陽と月、上と下、前と後、男と女、過去と未来、縦と横、拡大と収縮、喜びと悲しみ、愛と憎悪、ポジティブとネガティブ、、、
どちらが優れているわけでも、どちらが劣っているわけでもない。
太陽と月だって、どちらか欠けると私たちは生きられない。
それと同じで、相反する2つの要素は必要不可欠で、共存させることでバランスが取れる。
それが「調和」ということ。
対になっているだけで、そこに善悪は存在しない。
それは宇宙の掟であり、法則―。
このようなことは、精神世界でよく見聞きすることだと思うので、もうすでに知っている方もたくさんおられるでしょう。
では実際どうなのか。
私はと言えば以前、自分の中のネガティブな感情を見つめることをせず、ポジティブな感情ばかりを味わおうとしてしまっていました。
ヨガをしていれば、いつかネガティブな感情は無くなる・・・
そう思いながらヨガを続けましたが、年月を重ねても(とは言え所詮、ヨガ歴6年程度ですが・・・)、自分の中には怒りや悲しみ、嫉妬、執着、貧欲は確かに内在する。
それでも、これらの感情を無いもののように振る舞い、都合の良い部分しか表に出さないようにしていました。
しかし、このような在り方はいつしか限界を迎えるようになりました。
自分を偽っているような気持ちになり、それが罪悪感として根付き、自分を責めるという悪循環に陥り、本当に悩みました。
そしてある時から、
もうそんな自分をやめたい。
ありのままの自分を許したい。
良いところも悪いところも全部ひっくるめて、等身大の自分を愛したい。
そうすることで、人の長所も短所も全部ひっくるめて、受け止めたい・・・
と思うようになりました。
自分の光に属する部分だけ、見られても良い部分だけしか表現しない自分は嫌だ。
そんな私がヨガを語るなんて口先だけだ。頭での理解に留まっているに過ぎない。いや、それは「理解」ではない、ただ「知っている」というだけ。
これからはもっと在りのままに、もっと自然に自分を表現していくことにチャレンジしていきたい。
私の中にある美しさも醜さも、ジャッジすることなく見つめていきたい。
そこから成長していきたい。
そのような想いから、ある行動を起こしました。
その行動が、今年1月のブログ炎上です。
(ご存知でない方は、旧blogから読むことが出来ます。)
あれから半年以上が経った今までも、あの出来事がずっと心の中にありました。
私は、どのような意識であの行動を起こしたのか。
コメント欄で書き込んでくれた皆さんが、私に何を教えてくれたのか。
あの出来事から、私は何を学ぶのか。
当時の気持ちを振り返りながら、今になりわかってきたことを、ここから綴りたいと思います。
当時は、まさかあそこまでブログが荒れてしまうとは思ってもいませんでした。
自分で引き起こした出来事とは言え、匿名で誹謗中傷されるのは想像以上にきつく、この時期は日に日に弱っていったのを今でもありありと覚えています。
私が甘かったのだと思います。
今思うと、あの時の私は、自分が「これだ!」と思ったものをほとんどの人が理解してくれるであろうという、甘さがありました。
私は昔から、自分が得た感動を人と共有したいという気持ちを強く持っています。
その気持ちがあるからこそ、ヨガインストラクターのお仕事も楽しんでやれているのだと思います。ヨガで得た体験や感動を、1人でも多くの人が自分と同じように味わって頂けたら、とても嬉しい。
しかし、バランスを崩してその気持ちが色濃く出すぎると、
自分が食べたいものを相手の口の中に無理やり突っ込んで「ねぇ、おいしいでしょ?」と言っているようなことにもなりかねません。
よくよく考えてみると、私生活でも多々やってしまっています。
特に、家族や友人など、親しい間柄の人に。
自分にとって良いことが、人にとって良いこととは限らない。
どんなに素晴らしい教えであっても、その人が必要とするタイミングでなければただの押し付けになってしまう。
自分にとってのタイミングが<今>であっても、人にとっては<今>ではないかもしれないし、訪れないかもしれない。だからと言って、どちらが優れているわけでも何でもない。
このような意識であったのなら、あのような表現方法にはならなかった思います。
そして、私の表現はあまりにも唐突でした。
こうなってしまう経緯があったにも関わらず、その経緯をすっとばし、いきなり感情を爆発させる文面を書いた。
怒りや悲しみ、憎しみ、嫉妬・・・
どんなに受け入れ難い感情であっても、そこに至った経緯や理由をしっかり聞かされれば、「そうなるのも無理ないよね」という気持ちになったりもします。
ですが、伝えていることがいくら真理に基づいていることであったとしても、
伝え方や言い方、表現の仕方によって、人は困惑し傷ついてしまうこともあるのだと、遅ればせながら気づくことが出来ました。
これは何を表しているのかなと考えたら、コミュニケーション能力の無さだと思います。
これもよくよく考えると、私生活でよくやってしまっています。
例えば家族には、「家族なんだから、言わなくても心は通じている。自分の気持ちはわかってくれているはずだ」と勝手に決めつけたり。
では私はどうだろう?
私は、旦那の気持ちが手に取るようにわかるかと言われれば、NOと答えるでしょう。
旦那と長い間一緒にいても、今何を考えているのかなんて手に取るようにわかるわけがない。自分に置き換えればわかるようなことを、わかろうとしていませんでした。
これからは、相手の立場に立ち、話を聞く人が誤解のないように、気分を害さないように配慮し、経緯の1から10まで心を込めて伝えること。
伝え方や表現方法がつたないことで、その真意が歪んで伝わってしまうことがあるのだということを肝に銘じ、コミュニケーション力・表現力を磨いていくことを心がけていきたいと思いました。
そしてさらに、自分をどこかで過信していたことにも気づきました。
若い時から人にものを教える立場で仕事をしていたことで、謙虚さや自分の未熟さをすっとばしてしまっていたように思います。
これは、今書いていてもとても恥ずかしくて居た堪れないです。
色々な厳しい意見を聞くことで、自分の身の丈を知ることが出来ました。
自分の力を信じることは必要なことですが、これもバランスを崩し色濃く出すぎると「過信」というかたちで現れてしまうのだと感じました。
「本当に?本当にそうなの?」と、自分に疑いの目を向けることも、私にとってはバランスをとるために必要なエッセンスでもあると思いました。
ここまで書いていて思ったのは、どんな要素も表裏なのだということ。
表目に出れば長所となるところも、バランスを崩し裏目に出ると短所になる。だから、何が良い悪いではない。
物事は常に、「裏を返せばこうなる」という多角的な視点をもつことが大事だと、改めて認識しました。
どれもこれも、言葉にすると「当たり前」のことばかりですね。
ですが、この「当たり前」のことをマスターしている人間って、世の中にどれくらいいるのだろう・・・と思ったりもします。
当たり前だと思っていたことが、実際頭での理解に留まっていたなと気づくことこそが、成長しているということなのかなと。
このように、私はあのブログ炎上から本当にたくさんのことを学びました。
学んだ後に思うこと。
やはり、感情は表現しなければ始まらないということ。
ブログ炎上のきっかけとなった記事での本音は、たくさんの人が指摘してこられたように、確かに幼稚で、被害者意識も強く、感謝の気持ちに欠けていた部分があったと今では思います。
多くの方をがっかりさせてしまったかもしれませんが、それが当初の私の一部として確かに存在する感情でした。
しかし、もしあの感情を抑えて、「でも、私は今幸せなんだから」「お金をもらってるのだから、我慢するのは当然」と無理やり思考で塗り固め、沸いてきた第一声の感情を抑圧してしまっていたら・・・
きっと今のように本心から自分を省みることは出来なかったと思います。
本音を晒すことは、時に自分にとって都合の悪いものを見つめることにもなる。それは厳しくもありますが、出てきた感情をジャッジせず、ありのままを見つめたときに成長する機会がやってくるというのを、この経験から学びました。
そこにある感情がどんなにえげつなくても、どんなに幼稚でも、
どんなに滑稽でも、表現してみなければ真実はわからない。
もしかしたら自分の至らない部分が露呈されるということになるかもしれないし、もしかしたら相手や対照の出来事に問題があって、ネガティブな感情が沸くのも「無理もないよね」ってことになるかもしれません。
というか、どちらの要素もきっとあるはず。
いずれにせよ、真実と向き合いたければ本音を晒す。これしかないと。
そして、本音は晒して終わりではなく、晒して吐き出したものを見つめ、そこから何を学ぶのか。それこそが要だと思いました。
常に学ぶ姿勢さえ持っている人は、その目に映る世界のあらゆる出来事は、良いも悪いもないのでしょう。
まだまだ私の意識レベルでは、そこに到達するのは程遠いですが・・・。
「これは、ありえねーだろ!」って思うことたくさんありますから。
私はなぜ、笑うのか。私はなぜ、怒るのか。
私はなぜ、悲しいのか。私はなぜ、幸せなのか。
私はなぜ、求めるのか。私はなぜ、憤るのか。
私はなぜ、悔しいのか。私はなぜ、感謝するのか。
こうして1つ1つ、自分の感情と向き合い、その出所を探っていく。
自分を知ろうとする在り方こそが、<愛>なのかもしれないと、今は感じつつあります。
最後に。
今の本音をぶっちゃけると、ブログ炎上なんて振り返りたくない、無かったことにして闇に葬りたいって気持ちがほんの少しありました。
またほじくり返して、誹謗中傷を浴びるのではないだろうかという不安。
恐いです。
堂々と自分を表現しているように見える裏には、おしっこをちびりそうになっている弱い自分がいます。
その証拠に、私は炎上後すぐにブログをリニューアルしたのですが(旧blog2)、その時の内容は炎上時のことについて全く触れておらず、そしてそこから学ぼうともせず、あの痛手を負った経験が全く生かせていない、なんとも中途半端なリニューアルとなってしまいました・・・今書いていても、心底情けないです。
その時の心境を今振り返ると、やはり匿名での批判が恐かったのだと思います。もう2度と、味わいたくなかったです。そのような意識が働いたことにより、中途半端な内容となってしまいました。
しかし、この充電期間中、ブログ炎上に至った本当の目的は何だったのか、もう一度思い出してみました。そして今一度、自分にしかないオリジナルを確立していきたいという情熱を、取り戻すことが出来ました。
二度目の正直の、リニューアル。
以上のような心境でのWEB SITE立ち上げとなったわけです。
これが、今私が公開出来る本音全てです。
以前までの、ヨガインストラクター・芥川舞子としての表現ではなく、人間・芥川舞子の陰と陽が統合されるまでの葛藤や心境を、在りのままに表現する場として、このblogを綴っていきます。
今後開催するクラスやワークショップでは、「ちょっと抵抗があることでも、ここなら表現出来る」と思って頂けるような空間を作っていきたいと思っています。その為に、どういった内容のクラスにしようか現在考案中です☆
これから、皆さんと共に歩んでいきたいと思っていますので、生まれ変わった 新生・芥川舞子をどうぞよろしくお願いいたします!!
どうもありがとう。
さて。
今回のWEB SITEのテーマは、「光と闇」。
陰と陽の象徴でもある白と黒の2色で、自分に内在する光の部分と闇の部分を、対照的に表現してみました。
この「陰陽の統合」というテーマは、私が一生涯をかけて学び、マスターし、表現し、伝えていきたいテーマです。
―光を見るには闇が必要で、闇を映すには光が必要。
光と闇、陰と陽、太陽と月、上と下、前と後、男と女、過去と未来、縦と横、拡大と収縮、喜びと悲しみ、愛と憎悪、ポジティブとネガティブ、、、
どちらが優れているわけでも、どちらが劣っているわけでもない。
太陽と月だって、どちらか欠けると私たちは生きられない。
それと同じで、相反する2つの要素は必要不可欠で、共存させることでバランスが取れる。
それが「調和」ということ。
対になっているだけで、そこに善悪は存在しない。
それは宇宙の掟であり、法則―。
このようなことは、精神世界でよく見聞きすることだと思うので、もうすでに知っている方もたくさんおられるでしょう。
では実際どうなのか。
私はと言えば以前、自分の中のネガティブな感情を見つめることをせず、ポジティブな感情ばかりを味わおうとしてしまっていました。
ヨガをしていれば、いつかネガティブな感情は無くなる・・・
そう思いながらヨガを続けましたが、年月を重ねても(とは言え所詮、ヨガ歴6年程度ですが・・・)、自分の中には怒りや悲しみ、嫉妬、執着、貧欲は確かに内在する。
それでも、これらの感情を無いもののように振る舞い、都合の良い部分しか表に出さないようにしていました。
しかし、このような在り方はいつしか限界を迎えるようになりました。
自分を偽っているような気持ちになり、それが罪悪感として根付き、自分を責めるという悪循環に陥り、本当に悩みました。
そしてある時から、
もうそんな自分をやめたい。
ありのままの自分を許したい。
良いところも悪いところも全部ひっくるめて、等身大の自分を愛したい。
そうすることで、人の長所も短所も全部ひっくるめて、受け止めたい・・・
と思うようになりました。
自分の光に属する部分だけ、見られても良い部分だけしか表現しない自分は嫌だ。
そんな私がヨガを語るなんて口先だけだ。頭での理解に留まっているに過ぎない。いや、それは「理解」ではない、ただ「知っている」というだけ。
これからはもっと在りのままに、もっと自然に自分を表現していくことにチャレンジしていきたい。
私の中にある美しさも醜さも、ジャッジすることなく見つめていきたい。
そこから成長していきたい。
そのような想いから、ある行動を起こしました。
その行動が、今年1月のブログ炎上です。
(ご存知でない方は、旧blogから読むことが出来ます。)
あれから半年以上が経った今までも、あの出来事がずっと心の中にありました。
私は、どのような意識であの行動を起こしたのか。
コメント欄で書き込んでくれた皆さんが、私に何を教えてくれたのか。
あの出来事から、私は何を学ぶのか。
当時の気持ちを振り返りながら、今になりわかってきたことを、ここから綴りたいと思います。
当時は、まさかあそこまでブログが荒れてしまうとは思ってもいませんでした。
自分で引き起こした出来事とは言え、匿名で誹謗中傷されるのは想像以上にきつく、この時期は日に日に弱っていったのを今でもありありと覚えています。
私が甘かったのだと思います。
今思うと、あの時の私は、自分が「これだ!」と思ったものをほとんどの人が理解してくれるであろうという、甘さがありました。
私は昔から、自分が得た感動を人と共有したいという気持ちを強く持っています。
その気持ちがあるからこそ、ヨガインストラクターのお仕事も楽しんでやれているのだと思います。ヨガで得た体験や感動を、1人でも多くの人が自分と同じように味わって頂けたら、とても嬉しい。
しかし、バランスを崩してその気持ちが色濃く出すぎると、
自分が食べたいものを相手の口の中に無理やり突っ込んで「ねぇ、おいしいでしょ?」と言っているようなことにもなりかねません。
よくよく考えてみると、私生活でも多々やってしまっています。
特に、家族や友人など、親しい間柄の人に。
自分にとって良いことが、人にとって良いこととは限らない。
どんなに素晴らしい教えであっても、その人が必要とするタイミングでなければただの押し付けになってしまう。
自分にとってのタイミングが<今>であっても、人にとっては<今>ではないかもしれないし、訪れないかもしれない。だからと言って、どちらが優れているわけでも何でもない。
このような意識であったのなら、あのような表現方法にはならなかった思います。
そして、私の表現はあまりにも唐突でした。
こうなってしまう経緯があったにも関わらず、その経緯をすっとばし、いきなり感情を爆発させる文面を書いた。
怒りや悲しみ、憎しみ、嫉妬・・・
どんなに受け入れ難い感情であっても、そこに至った経緯や理由をしっかり聞かされれば、「そうなるのも無理ないよね」という気持ちになったりもします。
ですが、伝えていることがいくら真理に基づいていることであったとしても、
伝え方や言い方、表現の仕方によって、人は困惑し傷ついてしまうこともあるのだと、遅ればせながら気づくことが出来ました。
これは何を表しているのかなと考えたら、コミュニケーション能力の無さだと思います。
これもよくよく考えると、私生活でよくやってしまっています。
例えば家族には、「家族なんだから、言わなくても心は通じている。自分の気持ちはわかってくれているはずだ」と勝手に決めつけたり。
では私はどうだろう?
私は、旦那の気持ちが手に取るようにわかるかと言われれば、NOと答えるでしょう。
旦那と長い間一緒にいても、今何を考えているのかなんて手に取るようにわかるわけがない。自分に置き換えればわかるようなことを、わかろうとしていませんでした。
これからは、相手の立場に立ち、話を聞く人が誤解のないように、気分を害さないように配慮し、経緯の1から10まで心を込めて伝えること。
伝え方や表現方法がつたないことで、その真意が歪んで伝わってしまうことがあるのだということを肝に銘じ、コミュニケーション力・表現力を磨いていくことを心がけていきたいと思いました。
そしてさらに、自分をどこかで過信していたことにも気づきました。
若い時から人にものを教える立場で仕事をしていたことで、謙虚さや自分の未熟さをすっとばしてしまっていたように思います。
これは、今書いていてもとても恥ずかしくて居た堪れないです。
色々な厳しい意見を聞くことで、自分の身の丈を知ることが出来ました。
自分の力を信じることは必要なことですが、これもバランスを崩し色濃く出すぎると「過信」というかたちで現れてしまうのだと感じました。
「本当に?本当にそうなの?」と、自分に疑いの目を向けることも、私にとってはバランスをとるために必要なエッセンスでもあると思いました。
ここまで書いていて思ったのは、どんな要素も表裏なのだということ。
表目に出れば長所となるところも、バランスを崩し裏目に出ると短所になる。だから、何が良い悪いではない。
物事は常に、「裏を返せばこうなる」という多角的な視点をもつことが大事だと、改めて認識しました。
どれもこれも、言葉にすると「当たり前」のことばかりですね。
ですが、この「当たり前」のことをマスターしている人間って、世の中にどれくらいいるのだろう・・・と思ったりもします。
当たり前だと思っていたことが、実際頭での理解に留まっていたなと気づくことこそが、成長しているということなのかなと。
このように、私はあのブログ炎上から本当にたくさんのことを学びました。
学んだ後に思うこと。
やはり、感情は表現しなければ始まらないということ。
ブログ炎上のきっかけとなった記事での本音は、たくさんの人が指摘してこられたように、確かに幼稚で、被害者意識も強く、感謝の気持ちに欠けていた部分があったと今では思います。
多くの方をがっかりさせてしまったかもしれませんが、それが当初の私の一部として確かに存在する感情でした。
しかし、もしあの感情を抑えて、「でも、私は今幸せなんだから」「お金をもらってるのだから、我慢するのは当然」と無理やり思考で塗り固め、沸いてきた第一声の感情を抑圧してしまっていたら・・・
きっと今のように本心から自分を省みることは出来なかったと思います。
本音を晒すことは、時に自分にとって都合の悪いものを見つめることにもなる。それは厳しくもありますが、出てきた感情をジャッジせず、ありのままを見つめたときに成長する機会がやってくるというのを、この経験から学びました。
そこにある感情がどんなにえげつなくても、どんなに幼稚でも、
どんなに滑稽でも、表現してみなければ真実はわからない。
もしかしたら自分の至らない部分が露呈されるということになるかもしれないし、もしかしたら相手や対照の出来事に問題があって、ネガティブな感情が沸くのも「無理もないよね」ってことになるかもしれません。
というか、どちらの要素もきっとあるはず。
いずれにせよ、真実と向き合いたければ本音を晒す。これしかないと。
そして、本音は晒して終わりではなく、晒して吐き出したものを見つめ、そこから何を学ぶのか。それこそが要だと思いました。
常に学ぶ姿勢さえ持っている人は、その目に映る世界のあらゆる出来事は、良いも悪いもないのでしょう。
まだまだ私の意識レベルでは、そこに到達するのは程遠いですが・・・。
「これは、ありえねーだろ!」って思うことたくさんありますから。
私はなぜ、笑うのか。私はなぜ、怒るのか。
私はなぜ、悲しいのか。私はなぜ、幸せなのか。
私はなぜ、求めるのか。私はなぜ、憤るのか。
私はなぜ、悔しいのか。私はなぜ、感謝するのか。
こうして1つ1つ、自分の感情と向き合い、その出所を探っていく。
自分を知ろうとする在り方こそが、<愛>なのかもしれないと、今は感じつつあります。
最後に。
今の本音をぶっちゃけると、ブログ炎上なんて振り返りたくない、無かったことにして闇に葬りたいって気持ちがほんの少しありました。
またほじくり返して、誹謗中傷を浴びるのではないだろうかという不安。
恐いです。
堂々と自分を表現しているように見える裏には、おしっこをちびりそうになっている弱い自分がいます。
その証拠に、私は炎上後すぐにブログをリニューアルしたのですが(旧blog2)、その時の内容は炎上時のことについて全く触れておらず、そしてそこから学ぼうともせず、あの痛手を負った経験が全く生かせていない、なんとも中途半端なリニューアルとなってしまいました・・・今書いていても、心底情けないです。
その時の心境を今振り返ると、やはり匿名での批判が恐かったのだと思います。もう2度と、味わいたくなかったです。そのような意識が働いたことにより、中途半端な内容となってしまいました。
しかし、この充電期間中、ブログ炎上に至った本当の目的は何だったのか、もう一度思い出してみました。そして今一度、自分にしかないオリジナルを確立していきたいという情熱を、取り戻すことが出来ました。
二度目の正直の、リニューアル。
以上のような心境でのWEB SITE立ち上げとなったわけです。
これが、今私が公開出来る本音全てです。
以前までの、ヨガインストラクター・芥川舞子としての表現ではなく、人間・芥川舞子の陰と陽が統合されるまでの葛藤や心境を、在りのままに表現する場として、このblogを綴っていきます。
今後開催するクラスやワークショップでは、「ちょっと抵抗があることでも、ここなら表現出来る」と思って頂けるような空間を作っていきたいと思っています。その為に、どういった内容のクラスにしようか現在考案中です☆
これから、皆さんと共に歩んでいきたいと思っていますので、生まれ変わった 新生・芥川舞子をどうぞよろしくお願いいたします!!
2011/08/01
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